生きていく上で学習は欠かせません。
そこでふと疑問に思うのが「他人から教わるか、独学するか?どちらが効率的か?」という前段階の部分だったりします。

独学は効率が悪い?プロに教わるのが一番か?
独学は「自走できるまでが最悪に非効率である」
私個人は最初は独学しようとする性格です。
というのも「いちいちプロを探して日程合わせて習いにいく時間がめんどくさい」と思ってしまうため。その予定を組む時間と手間を独学のための情報収集に当てたいと考えるためです。
しかし、独学が良いとは全く思っておらず、むしろ「自走できるまでが最悪に非効率である」と考えています。

初心者はよく「何がわからないのかわからない」という名言を高確率で呟きますよね。
独学の問題って「問題を自覚できていないこと」が一番の問題であり、そこにたどり着けない限り永遠と霧の中をもがきつづけることになるのが苦しいのです。だから続かない。
私が言う自走とは「問題を自覚(発見)し、そこに対する謎解きが自分でできる水準」を指しています。

よって「自分で仮説を立て攻略していく」という自走ができる水準までプロに教わり、そこからは自分で楽しみながら試行錯誤したいという意味で独学するのが一番良い気がします。
そもそも最初から独学一本だと「それが正しい理解なのか否か」さえもわからない訳です。


よく守破離なんて言葉もありますし、初心者は思想もなければ結果も出ていない場合が多い訳で。
「根底にある思想が理解できているならやり方は何でもいい」や「結果でてるなら好きにすればいい」なんて言うプロもいますよね。
プロに教わる問題点と自分自身の判断の信頼性
今はネットで少し検索すればプロを自称する人物から教えを得ることが可能です。
そこから派生するのが「この人は本当にプロなのか?」という問題。
美容師のように国家資格があっても上手い下手が分かれてしまう仕事もあるのですから、無資格でプロを名乗れる仕事なんて玉石混交がひどい訳です。
「そもそも、こいつ本当にプロとして結果出してるのか説」が浮上します。
それに加えて「教わる側に見る目がないので本物かどうかが見抜けない」という更なる大問題が加わります。


これは投資やアフィリエイト・情報ビジネス系でよくある話です。
自分が稼げなかった=詐欺
という解釈で決めつけをしている人は「自身には全く非がなく完璧に内容を理解して実行できていたのか?」という部分を棚に上げてしまうのです。
元情報商材屋が「100人に教えて(言った通りに)遂行できるのは3人くらい」と言ってましたが、これが現実。
残り97人は自責思考でいられるか?というと厳しいでしょう。
引用:ステイ子の戯言(削除済み)
投資系(稼ぐ系)は独学だと厳しい道ですが、最短ルートを攻めようとプロに教え乞うても出来ない現実もある訳です。
加えて、ガチでカモられるリスクも考えると「自分の判断も他人も信用ならないので、おいそれとお金を投入できないなぁ」と思ったりします。



ステイ子がおすすめする学習法
"独学"でも"教わる"でも「いかに継続できるかどうか」だけ気を遣う
昔は「効率よく学習する方法」とか「なるべく早く上手くいきたい」なんて思っていた頃もありました。
でも、今は近道を考えるほど遠回りになる。効率化しないほうが効率的。
なんてことを思っていますし、それは「試行錯誤の果てに上手くいった経験」をしてから拍車がかかってます。
プロから教われば問題点を客観的に指摘してもらえますし、伸びるためのアドバイスももらえます。それは成長を加速させます。
とはいえ初心者ってプロから提示された「効果のある学習法」もその根底にある思想を全く理解できていない訳です。
教える側も「初心者ほど言っても理解しないし変な屁理屈こねる」とわかっているので「騙されたと思ってとにかくやれ!」みたいなノリになる人も多々。
よく「あの時の口酸っぱく言われていたのはこのためだったのか!」と気付くのは結構な時間が経過してからですよね。
わかってないことだらけの状態で募るのは不安だけです。
募った不安は「このまま継続してていいのか?」という一番の柱を崩しにかかる訳です。それは独学だろうが人から教わろうが同じこと。
長らく自走できない人はプロから教わるのが良いかもしれませんが、それでもプロとの相性や、個人レベルでの忍耐や要領の良し悪しも関係してきます。
根性論みたくなりますが、手段はどうあれ結局、物事の達成には「諦めないこと」や「継続(習慣化)すること」が一番の要点になると考えます。
自分が一見「無駄にした!」と感じた時間って、違う場面では一気に「理解のために必要なコストだった」と思える瞬間があったりします。
- 理解されない想いも
- 評価されない仕事も
- 負け続きの判断も
今は「やれサンクコストだ!やれ損切りだ!」って言いますけど、初心者が決める「損切り」は本当に損であるかさえ本来わかってないはずなのです。
損ではなく必要経費だとしたら?
すごく良いタイミングで損切りと称して撤退する「あと一歩をフイにした残念な人」って世の中に結構いると思うんですよね。
だからこそ、効率とかじゃなく「自分が継続できる考え方や環境を徹底的に作る」ことが大事だと考えます。
それは時に「つながりを絶って孤独になること」かもしれませんし、逆に「つながりを増やすこと」かもしれません。
でもそこには明確な正解があって、自分が継続できているなら確実に正解だと言えます。初心者であろうが関係なく。
よく「努力できるのも才能」という意見があったりしますが、こんなのはどう思うでしょうか。
- 毎日歯磨きできる才能→→→歯磨きが嫌いな人からすれば才能。
- 毎日ストレッチできる才能→→→ストレッチが嫌いな人からすれば才能。
- 毎日SNSをできる才能→→→SNSが嫌いな人からすれば才能。
私にとってストレッチとか1ミリも気持ちよくない不快な行為なので毎日できません。(身体死ぬほど硬いです)
SNSも嫌いなので毎日見るとか無理です。何が楽しいのかわからないしすぐ辞めちゃいます。


さいごに
大事なコトほど無料でそこらへんに落ちている。
私の経験から「重要なコトは値段もつかずにネットに落ちてる説」を唱えたい。
案外上手くやってる人は匿名かつ無料ブログなんかでサラッと手の内公開してることもあるんですけど、値段がついてないので多くはその価値を感じられず埋もれてる。
あと意外と言葉が厳しかったり辛辣。無料だとスルーで、値段がつくやいなや価値を感じはじめるって酷い(醜い?)話ですよね。
引用:ステイ子の戯言(削除済み)
これは私の中で紛れもない事実として存在していることです。
「時間を金で買う」という考え方はありますけど、人は最短や効率化を「お金で解決できる」と思い過ぎている節があると思うのですね。
だから金儲けの上手い人は「そんな奴らにありきたりなコンテンツをいかに売りつけるか?」という悪巧みを考える訳です。
また「本当に儲けているなら教えないで自分でやるだろ」という決めゼリフがありますよね。
それは100%そうとはいえません。考え方をしれっと教えてくれる善意の塊みたいな人って本当にいます。
でも値段がついてないんですよ。だってそれで儲けているなら金取る必要ないのですから。
そして悲しいことに「値段がついてない=価値がない=重要視されない」として、ネットの海になんとなく漂っていたりします。
さらに言えば「無料で漂ってるのにそれを発見して拡散する人がほぼいないのは何故か?」有効な手段なら検証した人がSNSかなんかで広めそうですよね。

それは「画期的とも革新的とも思えない超絶ふつーのことしか言ってないから」だったりします。でもそれがめちゃくちゃ大事。
例えば「100人の女性にナンパすれば最低でも3人くらいは遊んでくれますよ。ナンパ成功です!」という言葉をどう捉えるかです。
この言葉をスルーして「女性を口説く最強の心理テクニック(29,800円)」に走ったうえ、そこらへんの2~3人に声かけて撃沈するパターンみたいな。
