「デジタルデトックス」なんて言葉があります。
スマホやPCなどを日常的に使う生活から離れることで「かつての人間らしい過ごし方」を取り戻す健康法?(思考?)みたいなものですが、私個人としては「電化製品そのものとの付き合い方を考えるのもアリ」だと感じています。
電化製品が増えると不快感が増す
必要不可欠であるという洗脳で買い替えサイクルを植え付ける
電化製品は好きなのですが、それと同時に「あまり増やしたくない」という感情もあります。
増えすぎると「あー気分が・・・減らさなきゃ」と。
これは私が以前ミニマリストをしていた時からの気持ち。
- 冷蔵庫
- 洗濯機
- 電子レンジ
- テレビ
- 炊飯器
- 掃除機
これらを本当に全部処分して暮らしていました。(これはさすがにやりすぎた)
当時は食品添加物とか気にしていなかったので近場のコンビニでその都度惣菜を買い、米はフライパンで小型IH調理器を使い炊飯。
服も最小限なので洗濯は風呂場で手洗い、脱水に難儀したので小型脱水機を購入して脱水していました。掃除はホウキと雑巾です。
それからこのミニマリスト生活を捨て再び元に戻った訳ですが、そこで感じたことは・・・。
壊れたら買い替えを悩むことになるし、古くなれば新しい家電が欲しくなる。
これは全家電で言えることで、大体は2年〜10年で多くの家電の買い替えを検討することになる訳です。
ガラケー時代と比べるとスマホなんか明らかに高額。景気は下がり続けてるのに。
先日炊飯器の内釜コーティングが剥がれボロボロになったので買い換えようと思ったのですが、今時の炊飯器はどれもフッ素コーティングでどう頑張っても5年くらいで内釜がやられるんですよね。
そもそもフッ素コーティングじゃない選択肢の炊飯器がほぼありません。(低糖質炊飯器は内釜ステンも有り)
内釜だけ買うにも1万円くらいしますし、それなら新しい炊飯器を買う方がお得。
でも、なんだか炊飯器を買い換えるサイクルが短い気もする。冷蔵庫だって10年くらい持ちますし。
というかこの世の"製品"とされるものは「長持ちされると困る」を前提に突き進む運命にあります。
昔の日本製品みたいに「質実剛健!丈夫で長持ち!安心と信頼の日本製」は利益追求思想から言えばアウトであり「適度に故障し消費者は定期的に買い替えをする構造」が利益を永遠にするためには理想的。
つまり、素人にはとても修理不可能である電化製品が多ければ多いほど、財布からお金を奪う要因が増すばかりなのです。
エコではないし、合理的でもないかもしれない。
「いかに電化製品を買わずに済ませるか」という考え方はデジタルデトックスより強力
よく電化製品を買わせるための口実として「時短」「便利」があります。
いまは私もその恩恵を得ているので「家電を全部なくせ!」とは言いませんが、意外と見栄や思い込み(洗脳)で持ち続けている人は多いと思います。
時短して作った時間に価値があると説くインフルエンサーもいますけど「本当かなぁ?」という気もします。
電化製品が不調になるとイライラしたり、壊れたらデカい買い替え費用かかったり。(電化製品は安くないですよね)
「電化製品で時短・便利になるに比例して、人間は短気になっている説」を私は唱えたい。
突拍子もないことを言うなら、電化製品で便利を得続ける先は「人間そのものの機械化、究極の怠惰」ではないか?と。
単なる脳への電気信号で快楽を得るだけになり、時間をかけるという行為そのものに価値がなくなっていく世界。
私は「#ていねいな暮らし」に中指立てるくらいには品の無い人間ですが、それでも人として手間をかける充実感というか達成感みたいなものは知ってるつもりです。
そして、デジタルデトックスってつまりは「手間を味わう」ことだと思う訳です。
時短や便利を捨てれば時の流れはスローに戻り、心もおだやかになっていくのでは?と。
「デジタルデトックス」はスマホやPCといった電子機器に使われる言葉ですけど、そもそも電化製品を減らすというのもデトックス効果あると思うんですよね。
さいごに
あまり時短に躍起にならない生き方
現代はあまりにも便利すぎてるし、それを自覚していない人間は余裕がない。
Youtubeではソロキャンプやサバイバルなんかの自然系ジャンルが人気ですけど、それって人間の本能で引き寄せられているような気もします。
実際、無心に何かをやっていると心がスッキリすることもありますしね。そういうのを疑似体験してるのでしょうか。
とかいいつつ今は本当、電化製品に囲まれすぎてる私ですが。
でもテレビと電子レンジはやっぱ不要と処分しましたし、炊飯器は先ほどの話もあり処分する予定です。(今は炊飯用と米粉パン焼き用で2台あるし)
炊飯器の代わりにちょっとイイ鍋を買って再び直火炊飯しようと。