中国(アリエク)で買ったカーボンフォークが届きました。
緩衝材でグルグル巻きになってきたので傷一つなく、アリエクから届いたとは思えないとても素晴らしいフォークでした。
TOSEEKというTOPEAKのパチモンみたいな名前のメーカーなのですが、意外と良い質感を提供しているメーカーでは?なんて思います。
まぁ数万円以上するカーボン製品を買ったことないので比較もクソもないですけどね。
ちなみにTOSEEKのカーボンシートポストも買いましたがこちらもいい感じでした。ハンドルもカーボンにしようか悩んでます。

自身の前提を変えれば未来も変わってくる?
前提が違うと過程も違い、結果も違う。
たまに「できると思えばできる」なんて言う人がいます。
中には「んな無茶な」と言いたくなる内容もありますが、ここ最近「確かに前提が違うだけで人のパフォーマンスと結果には違いが出ることも多いかもな」なんて考えています。
というか、かなり影響あるな。と思っています。
例えば「俺(私)はモテるのが当たり前」という前提と、「俺(私)はモテないのが当たり前」という前提の場合。それぞれの姿勢や次に考えることが変わってきます。
- 「俺(私)はモテるのが当たり前」→ 自分は素の状態でモテるので何かをする必要もなく「私はモテる」以上。他に考えることはない
- 「俺(私)はモテないのが当たり前」→ モテない原因を見出し、それを解決すればモテるハズ・・・という悩みを抱えたりする
前者の他人に対する姿勢としては「俺(私)はモテるから積極的に行くし、それで拒否られても数あるうちの1つだし気にならない」となるはずです。
対して後者は自身が分析した「モテない理由」が他人の本心とが一致するかわからないままなので、どうしても慎重かつ様子見な姿勢になるかと思われます。その状態で拒否られたり避けられたりすると妄想が一人歩きして「やっぱ○○だからモテないんだ」と決めつけが強化されループ。

このことから「不安を感じたり原因に悩んだり、ウジウジする隙がない方の前提」を確信し続けることは(何事も上手くいく流れに)非常に効果的であると言えます。

そして、よく自己啓発系にある「引き寄せ」や「潜在意識」や「なる」といったメソッド、あるいは苫米地氏がよく言うゴールやエフィカシーやコンフォートゾーンなんていうのも、全部言っていることが似ている気がしてきました。


なぜなら・・・
こういうメソッドのよくある疑問点としては「でも現実は金ねぇし、モテてねぇし、実感がねぇのにどうやってそれを前提(当たり前)だと思うんだよ!」ということなんですよねきっと。
「実感(現実)が先に変わらないとそう思えない」という人はこの手の話には懐疑的を超えて否定的かもしれません。
でもそれこそクリエイティブな言い訳で回避しつつ「モテるのが前提」「金持ちなのが前提」という状態を維持し当たり前なるまで刷り込むのでしょうか。
ちなみに「前提が違うと過程も違い、結果も違う」と見出しで書きましたが、これも前提がずっと影響を与え続けているのである地点では同じ結果でも「そこから何を考えるか?」でまた過程が違い、結果も違う訳です。一生ルートを外れることがない。
- うまくいくのが当たり前の人が失敗に終わった→こういう事もある。いつか成功するわ。(諦めない)の繰り返し。
- うまくいかないのが当たり前の人が失敗に終わった→ほら見ろやっぱり失敗した。もうダメだ。(諦めた)で離脱。
どんな前提を持とうが、普通に嫌なことも悲しいことも起こるけど「前提を拠り所に腐らずにいられるか?」という話であれば、スピリチュアル云々の話ではなく「気の持ちよう」ということになります。
これはきっと「自己暗示や自己洗脳から始まる開運法」ともいえそうです。


無意識が最良の選択をするという自動運転的なこと
人間コツを覚えたあとは無意識にそれを行うことができますよね。
自動車や自転車の運転も、言葉を書いたり喋ることも「当たり前」になった瞬間全て無意識下で行われるようになります。

つまり、上手くいく自分が当たり前になった途端、それさえも無意識下でコントロールされるはずで、そうなると自分の表層的な意識とは関係なく最良の選択をし続けている状態(自動運転)ってあると考えます。

むしろ「表面的な願望自体が既に自動運転による産物」であるなら、基本的にどのような感情や現状も全て「最適な結果を得るための過程でしかない」とも見れます。
そして昔から「急がば回れ」という言葉があるように、一見回り道をしているような選択肢は実は自動運転による最短ルートを走っている可能性もあります。
この最良の選択をし続けている(通称:自動運転)は逆もある訳で「上手くいかないのが当たり前」という前提になると無意識下では上手くいかない思考や言動をナビってくれる可能性もあるわけです。

しかし「へー!じゃあ願えば無意識が勝手にやってくれるんだな」というと、そこで「自分自身の前提がどうなのか?」が強く影響してくるはずです。
懐疑的な気持ちで「なんか怪しいねぇ・・・でも願ってみるか」という姿勢だと結局「ほら!やっぱり嘘だ!これだから胡散臭い奴らは」という言い訳のできる隙ができますよね。
この隙こそが「現状がうまくいかない前提」になる要因であり「素直な人ほどいい」と言われるのもここに関係するのかと思います。

ポジティブとネガティブの話
ポリアンナ症候群というポジティブ病
この手の話を突き詰めると「いつも前向きな精神(ポジティブ)を獲得すれば運がよくなるはずだ!」と解釈する人もいるようです。
しかし、個々人の性格はおよそ幼少期に確定している(と私は思っている)ので、大人であれば「どうにもならない人もいるだろうなと考えています。
そして、行き過ぎたポジティブ思考には「ポリアンナ症候群」という名前があるとのこと。
ポリアンナ症候群の特徴は主に3つ。
- 「良いこと探し」に終始して問題を解決しない
- 「なんとかなる」と対策をしない
- 「◯◯よりはマシ」と相対比較するクセがある

ポリアンナの特徴①と②は結局のところ「明るく前向きにいれば神様か仏様か誰かが何とかしてくれるハズ!!!」というノリだと思いますが、これって前提が「私は無力で待つことしかできない」という意識にも思います。
③は「自分はレベル(地位)が低い」という前提があるから「私(俺)より下がいる」と相対比較する訳です。
思いっきり柱がグラグラな印象を受けます。
なんというか、ポジティブな人は「いますぐやりたい!」みたいな感じ、ネガティブな人は「どうにかしないとやばい!」と不安を回避するためにめちゃくちゃ行動するじゃないですか。
「神頼み人頼みだけ」ってのはそもそも自分の現状が異常事態である自覚がないようにも思えます。ポリアンナの特徴に当てはまる人は現状維持に徹してるようにしか見えません。
財布に10万しか入ってなくて「ドロボー!」と叫ぶ(笑)のも、例えば大会に出たのに予選落ちで終わるのも「本来の私にはあり得ない異常自体が起きている!!!!!」という意識。
そんな緊急自体である時に「待てばどうにかなるでしょ!」は選択肢に無いような気がします。普通は問題や原因を究明する。

さらに前提が「誰が何を言おうと、どんな結果だろうと私(俺)は一番だし。他の誰にも真似できない人間だ。私はかならず勝利する!」みたいに思っているなら「相対比較?する事自体が無意味だね」という回答しか存在できないハズです。
逆にネガティブでも「自分なんて」とどこまでも最下層を目指すので「適度に下を見て自分をマシだと思える状況」って行動できない人のコンフォートゾーンみたいにも思えてきます。

ポリアンナの特徴は「そもそもそれ本当にポジティブなの?」と言いたいところですが、単純に「ネガティブ or ポジティブ」ではなく、せめてこのくらいは分類してみたいものです。
- 表面はポジティブで無意識もポジティブ
- 表面はポジティブだけと、無意識がネガティブ
- 表面はネガティブで無意識もネガティブ
- 表面はネガティブだけど、無意識がポジティブ
無意識がネガティブだと行動しなさそうですよね。だとすれば④番なんかは「不安解消のためにめっちゃ行動する人」と見れそうです。

さいごに
結局どうすればいいのか?
結局のところ「根拠のない自信を持ち続けて行動する」という所に着地しそうです。(今の私はそう考えた。みなさんはどうだろう?)
そもそも
- ○○ができる→私は○○だ
- 私は○○だ→○○ができる
①だとそれこそガチャというか、先天的な才や環境に恵まれた人以外は「自分に上手なこととか・・・取り柄とかないし。いまさら無理だよ。」みたいな話に行き着くように思います。
しかし②であれば過去は一切関係ないので「私は書道家だ!」と思うなら今スグ書道家な訳です。とはいえ書道家のくせに家に筆も墨汁もスズリも文鎮も半紙もないのでは異常事態すぎるので買うでしょうし、書道家なのに下手クソでは異常事態すぎるので書道教室に通うかもしれません。


疲れたのでここでお開き。